- 手話との出会い
- 投稿者:くわの眼科医院 院長 篠原 康之
障害を持つことの大変さをあらためて考えさせられています。
医師にとって患者さんに病状を詳しく説明することは当然の義務です。その方法は医師によってさまざまだと思います。文字を書いたり、図や写真を見せたりしながら話しかけますが、患者さんが見えて聞こえることが前提です。もしそのどちらか一方に障害がある場合はどうでしょう。
人間は、その情報の80%を目から得ているといわれています。目が見えるということがどれだけ大事かは誰も異論はないと思います。では聞こえないことは見えないことに比べればそんなにたいしたことではないのでしょうか。
私は眼科医ですので健聴で、視覚障害をもつ患者さんと接することは日常のことですが、聴覚障害をもつ患者さん(ろう者)と接する場合は少々勝手が違います。ほかの科の先生方も同じだとは思いますが・・・。
開院当初からろう者の患者さんの単独での来院はありましたが、筆談や口話でどうにか1対1のコミュニケーションをとっていました。しかし12,3年前から手話通訳者を帯同した患者さんが少なからず受診するようになりました。診察室での会話は、私が患者さんに尋ねる内容を通訳者が通訳し、患者さんの返答をまた同時通訳して私に伝えるという、ある意味国際会議の同時通訳とみたいな流れです。しかし患者さんとは正対していますが、通訳者と患者さんとの手話のやり取りの間は患者さんの横顔しか見てない状態です。患者さんの表情を観察していて困った顔や怒った感じは何となく読み取れますが、内容は全くわかりません。患者さんにとっても自分の訴えがきちんと伝わっているだろうか、不安があるはずです。こういう状況を良しとはしたくありませんでしたが、現状は変わることなく,変えることなくそれが当たり前みたいに続いています。
前に述べた患者さんへの説明にしても日常の診療の時の話にしても、話しぶりすなわち声の質,抑揚、速さ、間などによってより深い感情をこめられる筈です。これが患者さんに安心感を与えたり、納得させたりする大きな力になります。しかしろう者には通用しません。
患者さんと直接『手話』で会話できないかという気持ちが強くなって、今年の4月から小郡市の手話講座に通い始め、勉強中です。手話は確立された『言語』であることを知りました。当たり前ですが、『あいうえお』、『ABC』や数字はもちろん、主語、動詞、名詞、形容詞、副詞、疑問詞があり、指の形、位置、向き、動きの速さの組み合わせなどでほとんどのことが表現できます。そして顔の表情や身振りを加えると普通の言語となんら変わらない『話し』ができることも学びました。ろう者が手話でコミュニケーションしている世界を少しでも垣間見ることができたのは、本当に感激でした。
現在、一日も早く院内に通用言語『手話』と表示できるように気合を入れているところです。
平成26年12月