- テクノストレスから子供達を守ろう
- 投稿者:高橋クリニック 院長 高橋 一石
テクノストレスとは、ブリタニカ百科事典によれば、コンピューターなどやOA機器の使用により、引き起こされる様々なストレス。元来、プログラマーや システムエンジニアなどの、専門的なコンピューター業務に、日常的に長時間従事する労働者の職業病。精神的な憂鬱感・不安感・焦燥感などの症状を呈し、肉体的にも頭痛・肩痛・腰痛などの症状を伴うことが多いと記されている。
職場の急速なOA化によって、一般のサラリーマンも日常的に、PC使用を余儀なくされており、そこから不慣れな中高年のサラリーマンのストレス全般を指す語となった。
心身拒絶反応を起こして、頭痛や吐き気などの自律神経失調症の兆候を現し、うつ病など出社拒否に陥る事も少なくない。
この様なPCに対する不適応症状はテクノ不安症とも呼ばれ、テクノストレスがもたらした現代病として注目されている。
一方、PCに過度に適応したテクノ依存症もテクノストレスの現われで、パソコンとの時間に親しむあまり、人間的感情の陰影を失い・・・対人関係が煩わしくなり、ついには会話も失ってしまう症状を指すサラリーマンが増えていると言われ、社会問題化しつつある。
同上症状もVDT(ビジュアル・デスプレイ・ターミナル)障害とも言われている。
最近、小・中・高生の子供達の、頭痛・肩こりを始め(何となく、だるい・・・)と訴える不定愁訴が増えてるように思える。ネット依存、携帯依存、スマートフォン等によるゲーム依存症が増加してるからではないだろうか?
保護者が(この子は、頭痛持ちなんです。肩こり症なんです。)と、来院することがある。
その他の要因もあり、眼鏡が合ってない事などもあるが、良く話をきいてみると、その子は、スマートフォンのゲームが好きで、時を忘れてやってる事もしばしば。親から、(時間を決めてやるように)と言われてるので、布団の中で隠れてコッソリ朝までやってる事もあると言う。
これでは、生活のリズムが狂い自律神経失調様の症状、眼精疲労も起こる。
ある地方自治体での試みだが、{携帯を常時使ってる子供と、全く携帯を使わない子供のグループの間に、有意に成績の差があったとの報告があった}と、最近、新聞に載っていた。
スマホや携帯での、延々と続くメールのやり取りに追われ、携帯での会話に時間を忘れて夢中になり、本来、暇つぶし的にしていたゲームの虜となり・・・ 自らの生活のリズムが取れなくなり、身心に悪影響を及ぼしている可能性もある。
パソコンを、授業に取り入れている学校も多々あるようである。ツールとして使うのであれば、それも便利なものであろう。携帯、スマホも(便利なツール)としての活用の仕方を家庭の中で、もう一度話し合う場をつくって欲しいものである。
私事であるが、約40年前に連絡手段としてポケットベルが普及して、我々医師にとっては極めて便利なツールであった。それから10年も経たないうちに、携帯電話が当たり前になった。そしてpcの普及。ここに至るまでの期間40年である。
今のうちに、(便利なツールとしてのOA機器)を取り戻す時ではないだろうか。
ネット依存、ゲーム依存中毒、子供だけでなく、大人も中毒化しているように思える。
パチンコ依存中毒等も心理面では同じであろう。
最近の報道で、子供達のロコモ症候群(運動機能障害)も取り上げられていた。ロコモ症候群とはロコモンテイブシンドローム・本来、高齢者の運動器の障害によって、運動機能の低下等がおこり日常生活に制限をきたす状態である。子供達の運動不足により、そのような状態になってるのではないか・・・という問題の提起である。バランスのとれた運動の必要性と共に、ネット、ゲーム依存症の影があるような表現であった。即ち、ゲーム中毒等により、身体を動かす機会が、極端に少なくなっているという。
歩行中、自転車、電車の中で、ジッと画面に見入ってる姿は異様にみえるのであるが・・
交通安全上も問題である。
心身ともに健全に、子供を育む為、テクノストレスの予防としても、OA機器との対峙を各家庭で話し合って貰いたいと思う。
赤ちゃんから成長するにつれて、子供は沢山の言葉を覚えて使いだす。昔から言われている事であるが(赤ちゃんが発する言葉の裏には、200の言葉がある)頭の中の200の言葉の中から、一つの言葉を選びだし、返事をしているのである。小さい子供さんに、沢山、言葉をかけてあげたなら、頭の中にデータが増えるのである。子供に簡単にゲーム機を与えてる事は、その子供の可能性を妨げているのではないだろうか?
分数の計算ができない大学生が増えていると聞く。極端な持論になるかもしれないが、算盤を使って計算を覚えていくと、一繰り上がり・・次の位に・・と、(何故、そのような結果値へなるのか・・)と、考えて身につく事が、電卓を使う事により簡単に答えが出てしまうものだから、考える機会を失っているのではないか?と考える。
これから、長い人生を歩むんで行く子供達に、その可能性を伸ばす為にも、そして、逞しく生きて行く事を願う為にも、デジタルからアナログへの回帰を今一度見直す必要があるのではないだろうか・・・。
平成26年5月