一般社団法人 小郡三井医師会

病気と健康の話

  • 心臓病のお薬の話
  • 投稿者:かわち内科循環器科医院 院長 河内 祥温

現在循環器疾患の治療に使われている薬の中にはなかなか面白い云われのあるものがいくつかあります。その中でも有名な薬を三つほどご紹介しましょう。名前を御存じの方も多いとおもいます。
ジギタリスニトログリセリンワーファリンです。

 ジギタリス心不全の治療に用いる薬です。心臓病薬の長老的存在と言っていいでしょう。この薬が広く知られる前には心臓病で使える効果の確実な薬は殆どありませんでした。使い方次第では毒薬にもなるこの薬が一般医に知られるようになったのには次のような話が伝わっています。
18世紀なかば、イギリスのウイザリングという医師が心臓病の婦人を診ていました。動悸や息切れ、また浮腫等の心不全症状があって、当時の治療法ではあまり改善の期待できない状況でした。いつのまにかその婦人は来院しなくなりましたが、医師も日々の仕事に忙殺され、気にはなるものの、どうすることも出来ずにいました。ある日、医師は郊外の患家に往診を頼まれ馬車で出かけて行きました。するとその道で何と元気に歩いている例の婦人を見かけたのです。息を切らすこともなく、顔にむくみもありません。驚いてどうしたことかと尋ねる医師にその婦人の答えて曰く、「人にすすめられて、村の薬種屋の女将さんの煎じ薬を試してみたところ、みるみる良くなったんですよ」とのこと。本当にそんな薬があるものだろうかと不思議に思った医師はその民間療法の煎じ薬を調べてみました。それはその村の何処にでも生えているジギタリスという草だったのです。猛毒を持ち一般には恐れられていた植物なのですが、その成分に少量を適切に用いれば強心作用のあるものが含まれていたのでした。ヨーロッパでは魔女などと呼ばれた人々がこのような民間療法薬を古くから伝承してきたと言われていますが、これなどもそういった類のものかもしれません。その後ウイザリングは何年もかけてこの植物の成分を研究し、心不全に有効な成分を医学界に発表しました。やがてジギタリスによる心不全の治療は一般にも広がり、内服薬として精製され多くの患者さんがその恩恵に浴すことになりました。心房細動や心不全などの治療にいまでも基本薬として使われています。

 さて、ジギタリスが心不全の治療の特効薬としてもて囃されはじめた頃の心臓病は、脚気心などの低栄養に由来するものをのぞけば、大半はいわゆる後天性の心臓弁膜症でした。先天性心疾患の患者さんには手術法も開発されていませんし、心筋梗塞などの冠動脈疾患は発生率も生存率も低かったからです。もちろん弁膜症の手術なども出来ない時代なので、心臓病の治療といえば、すなわち心不全の治療だったのです。
現在多くの患者さんを苦しめている動脈硬化による冠動脈疾患は人々の生活が贅沢になって増えてきた病気です。近代になると運動不足と過剰栄養という生活環境の変化のため狭心症の患者さんが増加してきました。それでも医師達はこの病気に対して為す術もなくせいぜい「安静を保ちましょう。お大事に」というのが精いっぱいのところでした。ところが根治薬ではないにせよこの狭心症に有効な、画期的な薬が登場しました。劇的な症状改善をもたらす夢の新薬と言っていいでしょう。

 まずは爆薬の研究からはじまります。19世紀の中ごろソブレロというイタリアの科学者がニトログリセリンの合成に成功しました。余りの爆発力の凄さに始めは火薬としても実用的ではないと思われていましたが、その後かの著名なノーベルがこれを珪藻土に染み込ませて扱いやすくしたダイナマイトを発明しました。後に彼がダイナマイトの大量生産にともない巨万の富を手にし、思うところがあったのかそれを原資にノーベル賞を設けたのは有名な話です。かくしてニトログリセリン土木工事や鉱山開発に、或いは戦争に不可欠なものになるのですが、このニトログリセリンやダイナマイトの製造工場で不思議な話が取りざたされるようになりました。工場に入ると多くの従業員が頭痛やめまいを感じたり、狭心症を患っている従業員に工場内では発作が出ないなどと実しやかに伝えられたのです。始めはただの噂と思われていましたが、ソブレロが初めてニトログリセリンの合成に成功した時に「試みにこれを舐めてみると甘みと、こめかみに拍動性の頭痛を感じた」という記録を残していたことなどから、この揮発性の薬品は何らかの機序で血管拡張性に作用するのではないかと言われるようになりました。医師の中にはこれは狭心症の治療に役立つ可能性があると思う者もおり、やがて試行錯誤を経て添加剤を加えることで爆発しないようにした薬が開発され、狭心症患者に提供されるようになりました。ニトログリセリンの代謝物質が冠動脈を含めて全身の血管を拡張することで心臓の負荷を軽減し、それで狭心症が改善するということが分かったのです。ニトログリセリン自体は代謝の関係で舌下しなければ効きませんが、類縁の硝酸剤が次々に開発されて今では長時間作用の内服薬や、湿布のように皮膚に貼って吸収させる薬も使われています。

 ジギタリスによる心不全の治療とニトログリセリンによる狭心症の痛みからの解放で、当時の医師達はかなり面目躍如たるものがありました。大方の心臓病についての内科的な治療法は確立しつつあると思われていたのです。
ところで、解剖学の著しい発展により、脳梗塞の一部には心臓の中にできた血栓が遊離して脳内の血管に塞栓を起こすことで発症するものがあることが知られるようになりました(心源性脳梗塞といいます)。この心臓由来の血栓の多くは、心房細動という不整脈に伴い収縮能を失った左心房の中にできる壁在血栓と呼ばれるものです。これが左心房壁からはずれて全身のあらゆるところに塞栓症をおこすことがあるわけです。
この血栓の形成を予防する事など出来るはずがないと思われていました。しかしここにも、思いもかけぬところから人類に救いの手が差し伸べられることになります。

 20世紀のはじめ頃、ビフテキ以外は食事ではないと思っている北アメリカの人々は、ものすごい数の牛を飼育していました(いまでもしています)。牛も当然ものすごい量の餌を食べる訳で、もはや普通の牧草だけでは足りずにカナダやアメリカ北部の牧場では1920年代にスイートクローバーなる植物が飼料として大々的に導入されました。安いコストで痩せた土地でも栽培できるすぐれた牧草と思われたからです。ところがこれを食べた牛達が次々に死に出したのです。死因は出血でした。血が固まらなくなっていたのです。なんだかSF映画の冒頭のような話ですね。スイートクローバー病と呼ばれたこの牛の病気は当初は家畜の伝染病と思われて牧場主たちを恐怖に落し入れましたが、やがて死んだ牛の共通点として「腐ったスイートクローバーを食べていた」ということが分かりました。また、これらの牛にアルファルファ(ムラサキウマゴヤシ)という草を食べさせると出血を止めることが出来ることも分かってきました。その後、アメリカの生化学者が「腐ったスイートクローバー」からジクマロールという物質を抽出し、これが血液の凝固系に作用して血が固まらなくなることが判明しました。この過程ではビタミンK由来の凝固因子が阻害されていて、ビタミンKを与えると出血をとめることが出来ることや、またアルファルファにはビタミンKが豊富に含まれていることも分かりました。もともとスイートクローバーにはクマリンという成分が含まれていますが、これがある種のカビの作用でジクマロールに誘導されるのです。
いかにもアメリカらしい小説のような展開の末、スイートクローバー病はあっけなく地上から消えて無くなりましたが、アメリカの医師たちはこの事件に大いに興味を示しました。漸く生体内に生じる血栓と戦う武器が見つかったと思われたからです。研究が進んで第2次大戦後まもなくジクマロールの誘導体である現在のワーファリンが合成されました。強力な抗凝固剤の誕生です。それでもこの薬は始めの内は「殺鼠剤」としてしか使われませんでした。あまりにも作用が強すぎて人には応用できないと思われたからです。実際ネズミ退治にはとても有効だったそうです。
 それでも、血栓を防御したいという医師たちの願望は強く、動物実験に次いで、臨床治験もクリアーし、ワーファリンはついに臨床応用されるようになりました。弁膜症で機械弁に置換した患者さんや、心房細動の患者さんの心房内血栓の予防などに今では無くてはならぬ薬となっています。ただ、治療に適した血中濃度の調節が難しく、熟練した医師の指導がなければ非常に危険な薬であることに変わりはありません。
最近では、血液凝固系の別の部位に作用して血栓を防ぐ薬剤も登場しましたが、使い方が楽である一方、適応が限られていて、まだワーファリンに取って代わるものではないようです。

 こうやって見ますと毒草とか爆薬の原料とか牛の出血病の原因物質など、心臓病の薬はなかなかの曲者ぞろいではありませんか。興味深いと思うと同時にそれらを人類の幸福のために臨床の場で応用しようと奮闘した先人たちの慧眼と努力に心からの敬意を表したいと思います

平成26年2月

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