- 脳卒中後遺症の新しい治療
- 投稿者:医療法人三医会神代病院 リハビリテーションセンター 伊藤 博明
脳卒中や脊髄損傷、小児脳性麻痺などリハビリテーション医療で扱う多くの疾患でみられる痙縮(痙性麻痺など)は歩行障害や食事・書字・更衣などの日常生活動作(ADL)を損なうやっかいな後遺症であるが、発症から時間が経って症状が強くなることが多く、脳卒中の維持期には60~70%にみられます。
痙縮とは耳慣れない言葉ですので簡単に説明しますと、痙縮という病態は腱反射亢進を伴った緊張性伸張反射の速度依存性増加を特徴とする痙性の筋が緊張した状態を言います。イメージとしては、脳性麻痺の患者さんにみられる特徴的肢位や脳卒中患者さんの麻痺側の足の内反尖足(足が底屈し、背屈しないのでかかとが床に着かない)や手指の固い握りこみ、肘の屈曲など、簡単に伸ばせない状態も痙縮のせいです。この痙縮は起こっていない状態の時は動きが悪い軽い麻痺ですが、動かそうとすると同じ部位の同じ筋肉に起こりますので、その目的の動作が困難になります。関節の周囲の筋腱が伸ばなくて固まった拘縮とは異なります。
この痙縮にA型ボツリヌス菌の毒素(ボトックス)を利用する治療法が昨2010年10月より医療保険を使って治療が出来るようになりました。外国では20年位前から利用されていましたが、日本では1996年に眼瞼痙攣、2000年片側顔面痙攣、2001年痙性斜頸、2009年小児麻痺の下肢の痙縮に伴う尖足に使用出来るようになっていましたが、昨年10月やっと多くの患者さんがおられる脳卒中などの上肢痙縮と下肢痙縮に適応が拡大され、使用出来るようになりました。ただこの薬(ボトックス)を使用するにはWEBでA型ボツリヌス療法講習機構が行う講習・実技セミナーを受講し、試験などもあり、登録した医師のみしか使用できないことになっています。
A型ボツリヌス菌が出す毒素は筋肉を緊張させている神経の働きを抑える機能があります。この菌が繁殖した食物を食べ食中毒で死亡する例は外国ではよくあるそうですが、日本ではあまりみません。治療に使うのはボツリヌス菌ではなく、その毒素のみをを精製して薬として用いますので、感染の危険はありません。その薬の名前をボトックス(グラクソ・スミスクライン社)と言います。
私が経験した症例のうち二例をあげて少し説明したいと思います。
症例1)H.Hさん71才男性:
発症から数年経過した右不全片麻痺があり、右の下腿から足先まで金属支柱付きの装具を付けて、T字杖を使用して歩いてリハビリの外来にお見えになりますが、ぎこちないゆっくりした歩行をされます。下腿が重く自由に足を出せない上に、足の装具を付けて床にきれいに立てず、つま先立ちのようになり、下腿・足の右側が装具の支柱に当たり擦るため、びらんが出来ていました。この患者さんの右ヒラメ筋と腓腹筋(下腿の後側の筋肉)にボツリヌスの製剤(ボトックス)の200単位を一回だけ局所の筋肉内注射をしました。効果が出るのに一~二週間ほどかかりますが、痙縮がとれ、下肢・足が軽くなり、踵が床に着き、支柱とのこすれもなくなりきれいに歩容よく早く歩けるようになられ、本人もすごく喜んでいただきました。但し注射をして痙縮がとれても、治ってしまったわけではなく、三か月か半年か人により異なりますが、再び痙縮が出てくることはあります。その時は再度注射をする必要があります。ですからリハビリをしなくて良いようになる、治ってしまう、また、装具が不要になるのではありません。歩行の姿が良くなり、楽に歩けるようになったのです。
症例2)H.Eさん50才女性:
発症後三年の右視床出血で左不全麻痺の方はリハビリを熱心になさり、家事も車の運転も出来るように回復されました。しかし左肘の屈曲と左中指、薬指と小指が伸展して、特に小指は外側にピンと大きく反って伸びた状態になっていて周囲の物に伸びた指がひっかかるし、肘から指にかけて、痛みが強く筋肉も固くなっています。これは何かしようとしたり、手を使おうとすると痙縮が強くなるため、手首の動きもスムーズではありません。この方には前腕部の総指伸筋・小指伸筋などにボトックスを局注しました。その結果、痛みは軽くなり伸びた指も外側に反らなくなり、日常生活動作(ADL)は明らかに改善しました。
痙縮は動作を始めようとすると瞬間的に特定の同じ筋肉の痙性、筋緊張が亢進し、伸張反射の他筋への波及、病的同時収縮が起こったりして、巧緻性が低下します。そのような痙縮が起こる筋肉にボトックスを局注すると、筋の過剰な緊張や腱反射の亢進が収まり日常生活動作や歩行が楽に行えるようになりますし、筋肉の痛みもとれてきます。
以上のように痙縮の治療にボトックスの使用は有効ですが、まだ治療に使える医師が少なく、全国でも脳卒中には一万例以下程度にしか使用されていないだろうと思います。今から効果が認知されることでしょう。
平成23年11月