一般社団法人 小郡三井医師会

病気と健康の話

  • 高齢者の経管栄養と高カロリー輸液
  • 投稿者:丸山病院 池田 創

 当院は療養型の病院です。多くの寝たきりの患者さんが入院され、その大半が脳梗塞などの後遺症で、口から物を食べることができません。飲み込みに必要な反射機能が悪くなり、むせて肺炎をおこすからです。これを誤嚥性肺炎といい、高齢者の主な死因となっています。

 そのため”胃ろう”というお腹に胃に通じる穴を開け、そこに留置した管を通して流動食を流す方法で栄養補給します。これを経管栄養といいます。それでも胃の中に流した流動食が食道を逆流し、嘔吐などして誤嚥性肺炎を繰り返す患者さんもおられます。その場合、点滴用の管を太い血管に留置して、高カロリーの点滴を行ったりする方法もとられます。

 そもそも経管栄養に使われる流動食や、高カロリーの点滴で栄養をまかなう方法は、特別な消化器系疾患などのため、一時的に口から物を食べることができなくなった患者さんに使用されるために開発されたものでした。胃ろうも子供の食道狭窄に対する応急処置として行われていたものでした。それが今では高齢化社会を迎え、口から食べられなくなった場合の最終手段として、ごく普通に行われるようになっています。当初は、胃ろうを造って経管栄養を行う方法なら、在宅医療を推進できると考えられていたのです。

 口から物が食べられなくても、意識があって、ご家族の努力に応えられる患者さんなら、お互いに救われるものがあるでしょう。しかし、もし自分が病気をして、意識の回復の見込みがなく、口から物が食べられなくなったとしたら、経管栄養や高カロリー点滴での延命を望みますか?多くの人は老衰という病態においては安らかな人生の終焉を期待しています。今では食べられなくなっても、このような方法で延命することができるので、以前の”食べられないこと=死”という前提が崩れてしまっています。しかし患者さんによっては、経管栄養や高カロリーの点滴による延命が苦痛を与えてしまうことにつながる場合もあるのです。

 ここで問題となるのは、脳梗塞などでは突然意識障害に陥ってしまうので、健康な時点での意思がはっきり示されていないことが多いのです。現実的には本人が望むと望まざるとにかかわらず、当然の流れとして胃ろうを造って経管栄養を行い、延命している患者さんも少なくないのです。

 先日あるNHKの健康番組で、瀕死の状態にあった高齢のロバに、入れ歯を作ってはめてあげたところ、その後3年間元気に余生を過ごしたそうです。また脳梗塞で寝たきりになった患者さんが、入れ歯を作って、口から物を食べるリハビリを受けたところ、身体機能が改善し、畑仕事をするまで回復したことが報告されていました。物を噛むことが、歯根膜を刺激し、その刺激が三叉神経を伝って脳の海馬や前頭前野、運動野、感覚野などの神経細胞を活性化する。そのため記憶力や意欲、身体機能が増してくるというものでした。物を自分の歯で噛んで食べるという行為は、”味わって食べることが生きがいである”とよく言われるだけあって、まさに”生きる力”に他ならないのではないでしょうか。”活きる力”と言ってもいいでしょう。

 家族に胃ろう、経管栄養、中心静脈栄養のメリットとデメリットを十分インフォームド・コンセントした上で、最善の方法を一緒に模索していかなければと考えています。安全性と有効性が期待できる生命予後の観点だけではなく、倫理的側面、社会的側面から検討する必要があります。このような栄養補給を続けた場合、予想される患者さんの病状や、長期化した時の看護、介護、さらには家族の負担なども含めてです。一番重要なのは、本人の発症前の思想や人生観などを元に、患者さん本人の立場に立って、本人が一番望むであろう方法をとっていかなければいけません。

 先日の新聞で、このような日本老年医学会の調査の結果が掲載されていました。人工的な栄養、水分補給を受けている認知症末期の患者さんに対し、その補給を中止した経験のある医師の内、43%が”家族の強い要望”、23%が”苦痛が長引く”などを理由に挙げていました。またいったん導入した補給措置を中止することについて、29%の医師が”法的に問題がある”と回答していました。それは治療の差し控えが触法行為に問われた事例が影を落としていると思われます。日本の刑法は、現代の死の現実に、終末期医療の実態に即したものに整備されていない節があります。高齢者における治療不能の末期の認知症で、合併症などできわめて一般状態の悪い方や、意識回復の見込みのない方、明らかに老衰と思われる方については、尊厳のある平穏な人生の幕引きも熟慮されるべき時に来ているのかも知れません。

平成23年4月

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