一般社団法人 小郡三井医師会

病気と健康の話

  • 予期不安
  • 投稿者:柴田メンタルクリニック 柴田 史朗

起)イマジン
人間は”サルにも想像力があるのだろうか”ということを想像できる唯一の生物です。この力で人々は世界を創造し、あるいは破壊してきました。今書いているこの文章は皆に受け入れられるだろうか、不倫がばれたらどうしよう、宝くじがあたったら、と思いを廻らしながら我々は生きています。今回は想像が人を苦しませるお話です。

 

承)不安
由紀は突然、天神の雑踏の中で、胸がドキドキ息苦しく脂汗たらたら眩暈がしてその場にへたりこむ。親切な人がいて救急車をよんでくれる。検査の結果、身体にはどこも異常なく、医者はあっさりと”パニック発作です“ちょっと言いにくそうに”心療内科にいってください“と言う。
明日の朝礼では皆の前で今月の目標を発表せんといかん。そのことを考えるだけで優男の両脇は汗でびっしょり濡れ、心臓は喘ぎ、口の中はカラカラに乾き、吐き気が襲ってくる。酒を飲めば飲むほど目は冴え渡り、朝を迎えた。案の定、しどろもどろの発表で、仲間からは酒の飲みすぎじゃが、と冷やかされてしまった。酒のせいならどんなに幸せだろうと優男は思った。

転)予期不安
その昔、予防注射で最も痛かったのはBCG、その次は日本脳炎であった。不安は、あと3~4人というところでピークを迎え、心臓が早鐘のように打つ。仲間の前で怖いそぶりは見せられず、皆顔ひきつらせ、おどけて恐怖を紛らわせる奴もいた。痛いだろうな、痛いだろうな、痛いだろうな、と恐怖が脳みそを独り占めする。
またあの発作が起きたらどうしよう。そう思うと由紀はどこにも出れなくなった。それはまさに死の恐怖であった。いや、いっそのこと死んでしまったほうが楽だと思った。パニック発作で病院に運ばれた、と夫の優男に告げると、それはお前が弱いせいだ、と一蹴され、やっぱり言わなきゃよかったと後悔した。根性が、根性が、と事あるたびに連呼する夫の反応はわかっていたのに。
また発作が起きたらどうしよう。いや、きっと起こるにちがいない。そう考えただけで、息苦しくなり、くらくらして立って居れなくなる。そのとき、突然、小郡駅前になんとかメンタルクリニックという看板があったのを由紀は思い出した。

結)転んでもただでは起きない
白衣も着ていない、その医者は話をよく聞いてくれた。必ず治るとも言ってくれた。けれども由紀は不安だった。あんなにひどい発作が簡単に直るとは思えなかった。一緒に夫が付いてきたのは不思議だった。毎食後の安定剤と発作止めの安定剤が処方された。
帰り際、どのくらいで治るでしょうか、と夫の優男が聞いてくれた。
半年ぐらいはかかるでしょう、人によってはもっとかかることがあります。けれども、どんどん楽になっていきます。この薬で及ばないときは今流行のSSRIなどもありますし、と医者は答えた。
一ヵ月後、由紀は近所の買い物がほとんど苦にならなくなった。
三ヵ月後、おそるおそる、発作止めの安定剤をもって久留米まで出かけた。少しドキドキしたが発作は起こらなかった。お守りのように安定剤を財布のなかに入れておくだけで安心できた。この病気は性格が弱いとか根性がないとかの問題ではなく、疲れやストレスが重なれば誰でも罹りうることだ、とインターネットに書いてあったので夫にも見せた。
熟年離婚を避けるためにも今から夫の躾をきちんとしておかなくてはいけません、との医者の言葉を45歳の由紀は守っていた。
一方、52歳の田舎の長男として生まれた優男は、男の沽券に関ると家でも職場でも弱みを見せず、いつも気を張って生きていた。本当は、一度立ち止まると二度と動けなくなるのではないか、との恐怖感を無意識のうちに抱いていた。サメは泳いでいないとおぼれ死ぬと言うではないか。そんなある日、優男は由紀の安定剤を失敬し、朝礼の発表に臨んだ。どうにもこうにも追い詰められ、安定剤を飲んでしまったのだ。結果、動悸もせず、顔も紅くならず、腋の下の汗も少なかった。今度先生のところにこっそり行って薬ばもらってこよう、と優男は思った。夫婦はじわじわと互いの舵を修正し、それぞれの船は再び同方向へと歩み始めた。
・・・つらい思いをし、治療費まで使ったのなら、治るだけでなく、”病気をして良かった”と思えるような結果がこの夫婦にもたらされんことを・・・

おまけ)
夫婦といえども薬の貸し借りはやめてください。個人差があり危険です
“安定剤は癖になる、中毒になる”と人に言われ、不安がる方がいらっしゃいます。”癖になる、身体に悪い”と貴方に言う人には”へええ、あなたは中毒になって身体を壊したことあるのね”と言ってみましょう。すると相手は必ずこう答えます。”私じゃないのよ、ばかねえ。ある人が言ってたのよ” すかさず、こう攻め込みましょう。”へええ、中毒の人と親しいんだ”・・・本当に精神安定剤依存の人は貴方に”癖になる”などとは言いません。安定剤に皆依存するなら、当クリニックの待合室は天神地下街のようにごったがえし、私はホンダではなくて、フェラーリに乗っていることでしょう。

平成18年4月

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