一般社団法人 小郡三井医師会

病気と健康の話

富安医院 院長 富安 祥尚

  • 平和そして命
  • 投稿者:富安医院 院長 富安 祥尚

8月15日 終戦記念日 毎年戦争の悲惨さ、戦場に於ける凄惨な死が語られ、二度と戦争はしてはいけないと皆で唱和してきた。それはそれで大切なことだったと思うのだが、戦後69年、ソロソロ命の尊さの中味を、そして平和の中味を議論する時期に来ているのではなかろうか。戦争を回避するには如何にしたらいいのかに議論を進めるべきだろう。戦争反対と叫んでいるだけでは、国家・郷土、そして家族・子孫の為、捨て身で戦った英霊に申し訳が立たないはず、戦争反対を念仏していても平和国家は維持存続できるはずがないからだ。
平和とは何か、命とは何か?辞書によると、戦争のない状態を平和という、と書いてあった。命とは生物を活かしていく根源的な力、広辞苑にはそれぞれに付随した言葉がいろいろ書いてあった。平和を望むなら戦争のない状態を如何に構築していくか、それこそが、語られるべき事だろう。平和を追及する、構築するとは、独立国家を如何にして守るか、万全の備えをして国際社会に正論を吐きつづけて行く、連帯し正義を確保して行くことに尽きるのではと思うのだが・・・。侮られないように、万全な軍備を整え、他国と連携し、外交と云う口論を内外で鍛え上げてゆく、これこそ平和を構築し維持して行く道であろう。
戦場に於ける悲惨な死は語り尽くされてきた、そうして命の尊さが69年間語られてきたが、目を転じて、平和と云われる現代、戦争をしていない状態に於いても毎日のごとく凄惨な殺人事件が報じられている・命が大切だと云いながら一方ではそれがひどく軽んじられているのは何故か。
命とは何か、人間には、肉体の命と心の命、二つの命が在る、と人間だけは知っている。
生物としての命と人間としての命と云ってもいい。肉体の命の大切さに付いては、サプリメントの話題を含めて語り尽くされてきたが、心の命については語られることが少なかったのではないのか。日々動植物の命を感謝することもなく貪り喰らってきて、我が命「肉体の命」だけが大切だと云っている、平和国家国民の「心の命」は荒んでしまっている。 それゆえの殺人事件の頻発ではないのか。この事に議論を転回して行かなければ醜い平和国家、エゴイスチックな平和国家、考えられない、動機のはっきりしない人殺しの平和国家を構築していくだけだ。
さて心の命とは何か。それは人間としての誇り、名誉、尊厳、それを支える道徳、良心であろう。それを鍛えるには道徳教育はもちろん必要だ。歴史を学び時代時代に生きた賢人たちの生き様に学ぶ事だ。この辺の話にそろそろ入って行く時期だろう。戦後、誇り、名誉といった言葉は戦争に結びつくが如く言われ、小さな声で口にされてきた。心の命、空虚さが、肉体の命を空無にして来た感がある。その結果が安易な殺人事件の頻発という事ではないのか。肉体の命を生き長らえることが、生きることではない。
2014年8月18日  ドン・キホーテ、ピエロ

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